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オフィス イズ トウキョウのブログです。

Plan BとGirl -90年代初めのスケートボードの話

急にスケートボードの話、と思われるかもしませんが、スケートボードは趣味です。たまにはこういう話も。

とはいっても、全くやらなくなる時期も多いので、なかなか上達しません。

定期的に再燃しては、しばらくやって、またやらなくなる、といったことの繰り返しです。

でもスケートカルチャー自体は、いつになっても変わらず好きなので、今回は90年代初めのスケートボードシーンについて書いてみます。

スケートボードを初めたきっかけは、Plan Bのスケートボードのビデオ “Questionable ” です。衝撃を受けました。1992年のビデオなので16歳のころですね。

学校帰りに友人宅でビデオを見て、すぐに友人何人かで各々デッキを買ってスケートボードを始めました。毎日のようにスケートビデオを見て、モチベーションを上げてスケートボードをする、といったことをしていました。

伊豆は、サーフスポットが結構あるので、サーファーやサーフィンとスケートボードを両方する人がいましたが、僕は色が白くてサーフィンが似合わないと思ったので、スケートボードオンリーでした。

初めて買ったデッキは、Blindのものでした。

Blindの話もしたいのですが、今回は Plan b と Girlでいきます。

目次

Plan B とは

Plan Bは当時、World Industries 傘下でマイク・ターナスキーによるスケートカンパニー。 最も勢いがあるライダー達が所属していました。

World Industriesは、ステーブ・ロコが設立した、傘下に Blind(当時 マーク・ゴンザレス、ジェイソン・リー、ガイ・マリアーノといったライダーが所属するもう一つのドリームチーム)もある、スケートボードのビッグカンパニーといった存在でした。

Plan Bの当時のライダー

パット・ダフィー、コリン・マッケイ 、ライアン・ファブリー、 サル・バービア、ショーン・シェフィー、 ロドニー・ミューレン、マイク・キャロル、リック・ハワード、ダニー・ウェイ

すごいメンツですね。その後のいくつかのスケートカンパニーのレジェンド達が、一同に所属するチームでした。

90年代当時のスケートボードスタイル

80年代のフリースタイルやバーティカル、ダウンヒルといったミドルスクールのスケートボードから、ストリートスケートに移行して、ニュースクールと言われてました。

ダボダボのTシャツに太パン、足元は一周回ってスタンスミスやスーパースターといったスタイルで、スケートボードのトレンドみたいなものは、ここから生まれていました。ぼくも当時STUSSYとか着て、そんなスタイルでした。

音楽もスケートビデオのパートで使用される、ハードコアとかヒップホップを聴き始めましたし、いろいろな影響を受けました。

余談 – Mike Carroll と Beastie Boys

音楽ついでに、”Questionable ” で マイク・キャロル の パートで流れるのは、ビースティ・ボーイズでした。

アルバム”Check Your Head”から3曲を使っているのですが、これは発売前のサンプル音源を手にしたマイク・キャロルが、自身のパートに無断で使ってしまったようです。

なので、”Questionable “が先、その後に”Check Your Head”が発売になりました。

スケートボードのビデオで、新曲が流出してしまった珍事件ですね。

当時はまだ、マイク・キャロルとビースティ・ボーイズの交友関係はなかったみたいですが、Plan Bがクールなスケートカンパニーだったこととか、共通の友人スパイク・ジョーンズがいることとかで、丸く収まったようです。

スパイク・ジョーンズは、その後のGirl のビデオも、ビースティ・ボーイズのMVも手掛けますし。Girlとビースティ・ボーイズはコラボしていくのですが。

ともあれ、YouTubeどころかインターネットが発達していない時代、マイク・キャロルのおかげもあって、アメリカの東海岸の最先端の音楽を、伊豆の東海岸の高校生が知るきっかけになったわけです。

Girl 誕生

Plan Bは、絶頂にありましたが、創設者のマイク・ターナスキーが不慮の自動車事故で他界してしまいます。

そして、マイク・ターナスキー亡き後のPlan B の体制に不満をもったリック・ハワードは、マイク・キャロル、ビデオディレクターだったスパイク・ジョーンズらと共に、ライダー7人を引き連れて離脱し、Girlを立ち上げます。

こうして、1993年にスケートボーダーによるスケートカンパニー Girl Skatebords が誕生しました。

Girlには更に、Blindからガイ・マリアーノ、101からエリック・コストンといった実力のあるライダーが加入していきます。

新設されて間もなく、人気実力を兼ね備えたトップスケートカンパニーになりました。

スケートカンパニーなのに、 Girl というネーミングも良く見えましたし、僕はすぐにデッキをGirlにしました。

その後、スパイク・ジョーンズにより、次々に名作ビデオが生み出されていくわけですが、好きなスケートムービーMOUSEとかは1996年で、今回の90年代初めの話ではなくなったり、少し長くなってきてしまったので、また次の機会にします。

今回は、Plan BとGirl と90年代初めのスケートボードシーンの話でした。

補足

Girl のマークは、見たことある人多いと思いますが、女の子のマークです。

同世代くらいの方で、見たことあったり覚えている方いるかもしれませんが、Girlの誕生後(93~94年くらい)に、Bitch(ビッチ)というアパレルブランドがありました。※スケートカンパニーではない気がします。ライダーとかいたのかな。。。

このBitchは、看板ライダーを引き連れて独立したリック・ハワードやマイク・キャロルの Girl に腹を立てた、World Industriesのスティーブ・ロコが、怒って立ち上げたものです。

マークは、女の子(Girl)に拳銃を向けている人です。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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